スリーとナインは丘、いや、丘だったところに戻った。所々に岩石があり、落下した当初よりずっと散らばっている。
そして――その中央に、皇帝が当たり前のように立っていた。
予想が当たったというべきか、やはりエンペラーは無傷ではなかった。少なくともいつも覆っていたあのローブはわずかに切れはしを残すのみで、その大部分がすでになく、下に隠していたものがあらわになる。
上部に王冠のレリーフが施された黄金の兜、先端が球状になっている黄金の杖、そして全身を覆う黄金の鎧。とても“派手”のひと言では片付けられない、まさに薄皮一枚の下に隠された尊大と傲慢の現れのような恰好である。
「君たちは賢い。帰ってくると信じていた」
エンペラーに言葉を返さず、スリーとナインは彼に近づく。
「さあ、誰が誰を殺すか、決めたか?」
二人は無言でうなずき、向かい合う。
スリーは目を閉じ、鞘に納めた剣から手を離し、無抵抗の意を示す。
そしてナインは毒針を取り出し、スリー目掛けて投擲する――と見せかけて、指先から針が離れる直前で方向を変え、エンペラーの方へ投げた。
しかし、その針は一定距離を飛んだ後、急に方向を変えたように放物線を描き、虚しく地面に落ちてしまった。
「そうか、答えは『二人とも殺される』、か」
「いいえ」
ナインがふたたび針を投げる。今度は斜め上へ。同時にスリーが駆け出す。
「答えは、『二人であんたを殺す!!』」
叫びながらスリーは高速移動で斬りかかる。
だがその動作はエンペラーに近づいた途端に鈍くなり、エンペラーの杖で難なく受け止められてしまう。
その時、空中に投げられた針が重力場の影響で方向を変え、丁度エンペラーの方へ落ちていく。
ナインは1回目の投擲で重力場の範囲と影響力を把握し、放物線を利用した軌道に修正したのだ。しかも重力場による加速度を利用した分、普段よりも貫通力が強い。
だがそれさえも、エンペラーの左腕のひと振りで防がれた。貫通力が強化された針でも、その黄金の鎧を貫くことができない。
「我に逆らうか、我に!」
杖を振り下ろす。とっさにスリーは剣で防いだが、衝撃で後方へ何アージュも飛ばされた。
「ガハァッ……!」
何とか耐えたが、巨大なハンマーで吹き飛ばされたかのようなその衝撃は、決して膂力と杖の重さだけによるものではない。これも「重力」を操る能力の一部だろう。
「“粛清”の時間だ」
それはつい数時間前、そして、3年前のあの時にも聞いたセリフ。
死刑判決のように聞こえるその言葉にスリーはあの時の恐怖を思い出し、足元がふらつきそうになるが、後ろにいるナインの姿を確認し、ぐっと堪える。
すかさず態勢を整え、スリーがふたたび斬りかかる。スリーの攻撃にあわせてナインも針の投擲で援護する。
が、両方とも結果は前回と同じ。
しかし間髪入れずに3回目、4回目と攻撃を重ねるごと高重力下での戦闘に慣れていき、スリーの剣は速く、鋭くなっていく。
筋肉の動かしかた、剣の振りかた、軌道、角度……無駄が削ぎ落されていき、エンペラーも次第に対処する余裕が無くなっていく。
洞察力ではナインに及ばないスリーだが、近接戦の資質は確かなものだ。
同時にナインの援護も止まっていない。
針による攻撃はたしかに鎧を貫けないが、ナインは重力場の影響下でも的確に鎧の隙間を狙っていく。
アーツによる攻撃も不規則に混ぜているためささらにタチが悪い。
エンペラーにとって対処は難しくないが、今度はスリーに向けての注意が削がれる。あっちはあっちでどんどん厄介になっている。
数合の後、戦況はスリーとナインが圧しているように見えた。
だが、兜に隠されたエンペラーの表情に焦りの気配は感じない。
たまにスリーの剣がエンペラーの鎧に命中することもあるが、大した効果は見られなかった。
スリーが踏み込んで跳躍した瞬間、まるで背中に翼が生えたようにスリーの体が空高く跳び上がった──意図せずに。「まずい!!」と思ったときには、すでに剣尖の狙いが外れ、姿勢を崩していた。
「重力を減らした!?」
同時に跳んだエンペラーは空中で杖を上段にかかげ、いっきに振り下ろす。スリーが地面に叩きつけられる。
「ガハァッ」
肺から空気が押し出され、血飛沫とともに吐き出す。
「まだ終わってない! 避けて!!」
ナインの叫びを聞き、スリーはかろうじて体を横に転がす。
ほぼ同時に、重力がふたたび大きくなり、スリーが落ちた場所目掛けてエンペラーが杖を下に突きつつ落下する。
衝撃波とともに、杖を中心に小さなクレーターが発生した。
「すーちゃん!!」
衝撃波だけで横に吹き飛ばされたスリーは、もし杖の真下にいたら、今頃ぐちゃぐちゃになっていたのだろうと思いながら、ナインの声に応えて立ち直る。
その後の戦況は一変した。
重力を自在に操るエンペラーを相手に、スリーは防戦一方になる。
体が重力場に慣れたかと思うと、すぐに重力の大きさが変わり、不意を突かれる。これではまともに攻められようはずもない。
ナインのほうも、重力が変化するたびにその範囲と値を測定する必要に迫られ、有効な攻撃が急激に減っていく。
しかしそれでも、何とか持ちこたえてはいる。
スリーの前衛として優秀さは確かなもので、押されつつも、エンペラーに決定打の機会を与えていない。そしてその時間を、後衛のナインも無駄にはしていない。
「すーちゃん」
いったんエンペラーと距離を置いたスリーに、ナインが話しかける。
「少し分かってきたかも」
「ああ、頼む」
エンペラーの攻撃を警戒しながら、ナインの言葉を待つスリー。
「3年前に戦ったときと比べて、何か変わったところある? とくに、左手。何か持っていなかった?」
今のエンペラーは左手に何も持っていない。だが、スリーが経験した過去の戦闘では……
「確か……金の、カラスの彫刻がついた球を持っていたような気がする。それに、今よりもっと一方的な戦いだった」
「やっぱりね」
スリーも薄々違和感を感じていたが、自分たちが見くびられ、手加減されているのだと思っていた。だがナインの反応を見るに、どうやらその考えは違うようだ。
「ほう? 気付いたのか」
エンペラーは感心するような声を漏らす。そして『答え合わせをしてやろう』と言わんばかりに、攻撃の手を止めた。
「アイツが身に纏っているもの、重力を操る古代遺物は、元々4つでひと揃えだと思う」
「4つ?」
「重力場を発生させ、重力の大きさを変化させる黄金の兜。攻撃を受けた瞬間にその対象の重力を吸収する鎧。接触した局部に強力な重力波を伝える杖の王笏。そして対象を指定し、重力場の効果を区別するカラスの宝珠」
つまりエンペラーは古代遺物を全身に装備していたのだ。
それなら確かにローブで全身を覆いたくもなる。あの姿をさらせば、間違いなく七耀教会に目を付けられるだろう。
「確かに……今回はこっちが減速させられることはあっても、同時に奴の動きが加速するようなことはない。3年前はそれで手も足も出なかった」
今回もエンペラーの重力場に翻弄されているが、あくまで双方が同じ重力の下で戦っている。相手と異なる重力下で戦っていた前回と比べれば、まだ活路がある。
「おそらく宝珠はどこかで紛失したか、あるいはさっきの落石で壊されたんだと思う」
その意味においても、今こそエンペラーを倒す、最大のチャンス。
「見事だ」
エンペラーの低い声が伝わる。そのなかに愉悦が混じっている。
「我が持つ古代遺物、《照臨のレガリア》を短時間でここまで分析するとは、やはり君は逸材だ、ソードの9」
「あなたに褒められても、ぜんぜん嬉しくない」
エンペラーは高揚した声で言葉を続け、そして突如、嵐のような殺気を発した。
「だが、いくら優秀な道具でも、我に使われないのなら──」
エンペラ―は自分と周囲を空中に浮かせ、漂う岩石の群れを杖で順に叩く。
「価値はない!!」
衝撃に耐えきれず、その場で砕けて飛び散る岩もあれば、まとまった大きさを保ったまま飛ぶ岩もある。それらは、一直線にナインへと向かっていく。
「ナイン!!」
砕けたものは散弾、まとまったものは砲弾のようにナインを襲う。
まるでここだけが戦場になり敵軍の集中砲火を浴びているような有様だ。
スリーは慌てて弾道上に駆け込む。
飛来する岩を剣でそらし、防ぎ、砕き、体を盾にしてでもナインを守ろうとする。
しかし、元々距離があるため、彼が駆けつける前に、すでに大半の岩が彼の位置を飛び越えていた。
――遅かったのだ。
大した防御手段を持たないナインは岩を避けるしか道がなく、しかしその数はあまりにも多過ぎた。
小さい岩を無視し、大きい岩だけ避けようと努力したが、それでも最後はひと際大きい岩が腹部に命中し、彼女は血を吐き、その場に倒れこんだ。