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■石園 悠

【タイトル】 サレクと魔法と猫(3/10)
【作者】 石園 悠

 てっきりラヴネルの家へ行くことになるのだと思った
サレクだったが、そうはならなかった。彼らは出会った
大樹のところで勉強をはじめた。
「君が魔術師になると言うのなら、本格的に修行を
しなくちゃならない。でも基本的な使い方を覚えるだけ
なら、『魔術師から教わった』なんてことは内緒にした
方がいいからね」
 それが「内緒の授業」の理由だった。
 たくさんのことを教わった。文字の読み方にはじまり、
魔法の成り立ちや歴史、もちろん魔法のかけ方も。
「もし本当に魔術師になることを決めたら、そのときは
魔術師のための組合を頼るといい」
 サレクの町にそんなものはなかったが、大きな町には
あるのだと言う。
「魔術師、か」
 ラヴネルに教わるのは楽しかった。いろいろなことを
覚えられて、これまでにない充実した日々だった。だが
故郷を離れ、怖れられている「魔法使い」になるかと
言うと心は決まらなかった。
「何で?」
「えっ!?」
 木陰で本を呼んでいたとき、突然声がかかって
サレクは仰天した。
「ものを自在に動かすくらいの術は最初から使えたん
だろう? それを伸ばしながら魔術師になりたくない
ってのは、何で?」
「あ、あんた誰」
 そこにいたのは、ラヴネルより五つか十は年上の男
だった。
「俺はアースト。ラヴネルの友人で、戦士だ」
 男は名乗った。
「人生、まだ先が長いと油断してるな? 気がついた
ときにはどん詰まりだぞ」
「アースト、未来ある若者に妙なことを言わないで
下さい」
 ラヴネルは呆れ顔をした。悪い悪いとアーストは
笑い、仲の良さそうな様子がサレクは少し羨まし
かった。
 戦士と魔術師という組み合わせは、意外とない。
戦士に比べて魔術師の数が圧倒的に少ないというのが
理由のひとつだが、それより現実的に、彼らはあまり
性格が合わないのだ。何らかの目的のために一時的に
協力し合う姿ならば見られたが、大抵はその場限りの
仲間だった。
 しかしラヴネルとアーストは違うようだった。
アーストはちょくちょくラヴネルのところにきては、
彼を旅に引っ張り出すらしい。
 そう、このときも。
「ごめんね、サレク」
 ラヴネルは申し訳なさそうに言った。
「授業はお休みだ。でも君はもう充分に自分の力を
操れるはずだよ」
「そ、そう?」
 少年は驚いた。そんな実感がなかったからだ。
「ごめんね」
 魔術師はまた言った。
「私は君を教えるのが楽しくって、ついつい最初の
予定よりも難しい段階に進んでしまっていた。本当は、
君はとっくに猫を呼ぶくらいのことはできるんだよ」
 それは思いがけない知らせだった。サレクは
てっきり、勉強にはあとまだ何年もかかるものと
思っていたのだ。
「ほら」
 魔術師が振り返ると、少し離れたところにあの日の
黒猫が遊んでいた。
「呼んでごらん」
「え」
「君が、名前をつけて」
 ラヴネルは促した。サレクはおそるおそる手を
伸ばした。
「——ジアンナ」
 ふっと浮かんだ音を口にすると、猫は尻尾をぴんと
立ててにゃあと鳴いた。

■石園 悠

【タイトル】 サレクと魔法と猫(4/10)
【作者】 石園 悠

 それから、数年。
 ラヴネルはアーストと旅に出たまま、あれから
サレクの前に姿を見せることはなかった。
 だが彼らが無事でいることは風の噂に聞いた。少年は
何も知らなかったが、アーストは有名な戦士だった
のだ。
 彼らのことがすっかり思い出になった頃、黒猫の
ジアンナを肩に乗せたサレク少年は近所で評判の存在と
なっていた。
 と言っても彼が魔術師として成功、または失敗した訳
ではない。大道芸人のように面白がられていたのだ。
彼の周りに立った噂は「猫をはじめとする動物の言葉が
判る少年がいる」というものだった。
 結論を言うならば、間違いではないが、言い過ぎだ。
 彼の魔術は猫を呼び寄せるばかりではなく、容易に
懐かせることができたが「言葉が判る」とは言えない。
あれ以来の相棒となったジアンナの感情ならばだいたい
理解できるが、それは猫なら猫、犬なら犬に長年慣れ
親しんだ者なら誰でもできるようなことだ。
 しかし、彼が念じて動物を落ち着かせることは
どうやら事実だった。牙を剥いた犬も毛を逆立てた猫も
サレクの前では大人しくなった。彼はただ、落ち着く
ようにと心で話すだけだ。それが動物たちに伝わるので
あれば、評判は少々逆だ。
 幸いにしてと言おうか、それが魔術であるとか、
忌まわしいとか怖ろしいとかは思われなかった。
言うなれば「変わった特技」と見なされていた。
 ときどき頼みごとをされるようになった。うちの馬の
様子がおかしいから見てくれだとか、牛の不調の理由を
知りたいだとか、そうしたことだ。
 彼は正直に言えば困ったが、相手も困っている。話が
判る訳ではないと釘を刺した上で人々の飼う生き物の
様子を見ては、結果的に解決した。
 そんなある日のことだった。彼の目の前に、
リリーノが現れたのは。
「あなたが動物と話のできる方?」
 二十代の半ばほどだろうか。それは誰が見ても
美しいと言いそうな女だった。
 腰まで届きそうな金の髪はまるで黄金の川。切れ長の
瞳は深い緑色。朱い唇が妖しく上げられる様は純情な
少年をどきどきさせた。
「その素敵な力を私のために使っていただきたいの」
 美女リリーノに見つめられて彼はぽうっとなり、
一も二もなく承知した。彼女がどこからやってきたか
とか、どこで彼の話を聞いたのだとか、そんなことは
全く気にならなかった。
 リリーノに連れられてサレクは町を出た。
 ジアンナと出会い、ラヴネルと出会った丘を越え、
どれくらい旅をしたろうか。
 気がつけばサレクは深い森のなかにいた。
「向こうに、いるのよ」
 女は言った。
「誰が?」
 サレクは首をかしげた。
「呼べば判るわ」
 彼女は不思議な答えを返した。


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