≪前頁 ・ 第7回展示室へ戻る ・ 次頁≫

■Sillia

【タイトル】 その日も工房はにぎやかで
【作者】 Sillia

 どこにでもあるだろうが、中央工房にも妙な決まりはある。その大半はラッセル一家関連だが最近追加されたものは、「旬の時期にトマト料理を食堂で頼むな」という少し毛色の変わっものだ。何を思ったか知らないがにがトマトなるものが開発され、食堂の備蓄食料に一つ二つ紛れ込まされるのだ。
 被害はミリアムを筆頭にした「にがトマ見守り隊」の地道な活動と、にがトマト愛好家たち(噂ではグスタフもいるという)が正しい方法でにがトマトのおいしさを知ってもらおうと活動しているため、第一種警戒態勢が発令されることなく先の決まりごとと合わせてずいぶん減った。それでもラウンドハウス程度の警戒は続けられている、そんなある日。
「おいフェイ! 搬入準備手伝え!」
 グスタフが作業路から怒鳴りつけてきた。言われたフェイは近くの荷物を手に取る。
「整備長、モメてた件解消されたんですか?」
「いやまだだ。レイストンの奴らは頭が固くていかん」
 単純な話、予算が原因だ。工房側と基地側のすり合わせの一環のため、実物を持ち込んでやろうというのだが。
「正直、どうなんです? こっちの要望通りそうですか?」
「九割がた無理だろう。だからってあれっぽっちの予算で現状のレベルを維持しろってのは無理だ無理だ無理無理」
 持っていたスパナを放り投げそうになったのであわてて取り上げる。
「なかなか折れませんね、レイストンも。たいていこっちが理由いえばどうにかなってきたのに」
 もう他にグスタフの周りに危ないものはないかを見ながらフェイは言葉を続けた。
「今回から担当が代わったんだとよ。今までタレ流しみたいになってたのを締めるとかなんとか……」
「誰なんです?」
「中佐だよ中佐」
「シード中佐?」
「ああ。やっこさんも仕事多い癖にまだ増やすかよ」
 今度は深いため息。まあ、物に当たらないだけいいだろうと荷運びを続ける女。
 そこへ。我関せずといった表情のアントワーヌが、どこからともなくやってきて荷の上に座り込んだ。そのまま眠り始める。フェイとグスタフはその様子をしばらく見つめ、同時に互いの視線を交わす。
「整備長……」
「みなまで言うな。ある種の事故だ」
 ややあって付け足される。
「多分な」
 それを合図に二人は幸せそうに眠るアントワーヌに飛び掛った。

 その後、予算はモメにモメたのが嘘のようにすんなりと通った。ただその時の面子は傷だらけの顔をさらしながらも詳細を黙して語らない。
そしていつしか、工房の面々の間に猫を忘れるなという不文律が追加されたという。にがトマト並みのわからない決まりだがそれが工房対基地の予算戦争において最終兵器となった。

 かどうかは……定かではない。

 

■Sillia

【タイトル】 帝国内乱秘譚
【作者】 Sillia

  だから ね

 からかう様に声はそこかしこから。

  あたし ほしいの

 そこで誰かが止めればよかったのだ。けれど宮城の最奥、皇帝の寝所には、皇帝に意見できるものなどそんざいしない。普段なら傍仕えの小姓もいたが今は誰も隣の部屋にはいなかった。
薄暗い寝所にいるのは、後に傾国王または狂情王と揶揄され個人名を忘れ去られた皇帝。
そして皇帝の寵愛を一身に受け宮城内を好き放題に闊歩する女。元は踊り子だか占い師だかの身分だが街に出た皇帝に見出されただけのはずの。

  あのへやいっぱいに きらきらした ほうせき

 その声は蔓のように皇帝を絡めとり。
その瞳は赤く輝いては皇帝を狂気の底に堕とす。

  だから とってきて

 もはやその皇帝の周囲には女しかいなかった。反発するものは処刑され、それを恐れたものは皇帝から離れていく。
皇帝はただ一人残った女の愛を失うことを恐れた。暴れ馬と化した黄金の軍馬の手綱を取れるものはおらず、次の日皇帝が部下や臣民に、一切合財の財産を献上するように命令することを止められなかった。
さすがにこの命令に従うものはおらず、完全に女に狂わされた皇帝を相手に兵や貴族を含む帝都の民は蜂起した。長夜時代といわれる内乱の始まりである。
後にも先にも一般臣民まで巻き込んで混乱したのは、長いエレボニアの歴史においてこの一度きり。
皇帝の名を記すことも忌避された当時の書物はすべて名を黒く塗りつぶされ、今ではその下の真名を探り当てることは出来ない。
己の血で濡れる玉座にて彼が残した言葉は、
「尾を喰らい身を喰らい国を喰らう竜となった」
である。現在でもこの言葉の意味は解明されていない。完全に狂っていた、死の間際に精神が癒えた、諸説あるが今だ真相は闇の中である。
そして、皇帝を狂わせ、宮城を狂わせ、帝都を狂わせ、一つ間違えば帝国全土にまで騒乱を広げかねなかった原因である、赤い目をした女は。
すべて終わったときにはどこにも存在しなかったという。
自害したのか、隠れて逃げたのか。
これもまた、歴史の襞の奥に埋没したままである。


≪前頁 ・ 第7回展示室へ戻る ・ 次頁≫