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■目薬

【タイトル】 二つの道標
【作者】 目薬

 出口の明かりがだんだんと近付き、大きく、眩しくな
っていく。先を歩いていた特務支援課の仲間たちはとっ
くにその光の中へ行ってしまった。談笑しながら、あの
眩しさに気付きもしない様子で。しかし自分があれに飲
まれるのだと思うと、レンは足が泥に沈み込むような感
覚を覚えて歩みを止めてしまう。
「……レン?」
「どうしたの?」
 新しい母が右から、新しい父が左からそれぞれ心配そ
うに問う。レンの両手はずっと二人と繋がれたままだ。
随分長い間この手から逃げ回ってきたけれど、今はこの
温もりを握っていたい。
 だが教団の施設の闇の中からでは、朝日の差し込む出
口はひどく輝いて見えて、とても出られそうにはない。
あんなに眩しくてきれいなところへ出てしまったら、き
っと自分は真っ白にかき消えてしまうから。
「すごく眩しいの」
 不思議そうな顔をするエステルに目配せすると、ヨシ
ュアは片膝をついてレンと目線を合わせた。
「目が痛いの?」
「とても……。真っ直ぐ前を見てられないわ」
 俯いてつま先を見詰めたままでも、ヨシュアが一呼吸
置くのは分かった。
「僕も、昔そうだったよ」
 驚いて、思わずヨシュアを見る。
「太陽の下に出ると緑が目に痛くて、こんなに明るかっ
たのかって思った。きっとレンはこれから、あの出口の
光よりももっと眩しいものを見て……もっと辛くなるこ
とがあると思う。かつての僕がそうだったみたいに」
 そこでヨシュアは苦笑した。
「いや、たまに今でも辛くなることはあるかな」
「ヨシュア……」
 エステルが言葉を詰まらせる。しかしヨシュアは微笑
んだ。辛くてもなお、優しく笑っている。
「でも……それでも、僕たちはこんな暗い場所じゃなく
て、お日様の下で笑うレンが見たいんだ。暖かくて明る
いところで本当に安心して笑えるようになってほしい。
そのためなら、なんでもするって決めたんだよ」
 その光景を想像したのか、エステルは弾んだ声を上げ
る。
「いいわね、いいわね! お日様の下で笑うレンかあ、
一刻も早く見たいかも!」
「はは、焦ったって仕方ないって」
 ヨシュアが立ち上がり、再び手が差し出される。
「まずは僕が色んな傷を癒してもらった、ロレントの家
で笑ってほしいかな」
「そうよね! じゃ、あたしたちの家に帰りましょ!」
 エステルが少し強引に一歩進む。ヨシュアもレンをエ
スコートするようにして、一歩進む。だからつられてレ
ンも一歩を踏み出した。
 正面を向くとやはり光は強くて、ともすれば顔を背け
て立ち止まりそうになる。手を繋ぐというよりも、しが
みつくようになってしまう。
 けれど二つの手は応えた。強く握れば握るほど、両方
から強く握り返された。
 だからレンは、どんなに目が眩んでも止まらないと決
めた。自分の足で、自分の意思で、顔を上げてここから
出て行く。
 もう迷子の仔猫なんかじゃない。二つの道標が、一緒
に歩いてくれると言ったから。

■目薬

【タイトル】 爆釣王が今日も行く
【作者】 目薬

 私と一瞬でも糸の引き合いをしたことのある人間は、
非常に幸福と言える。
 何せ私はこの湖の主なのだから。永きに渡ってこの
広い湖の秩序を守り育んできた、いわばこの湖の父で
ある。

 この穏やかな湖に奇妙な気配がやってきたのは、夕方
になる少し前のことだった。私の今晩の寝床を正確に掴
んだ上で場所を選んでいる。ということは私との勝負に
魅せられた常連に違いない。そう思い岩の陰から頭を覗
かせて、私は絶句した。
そこにいたのは若い娘だった。栗毛のツインテールが
綺麗に結い上げられている。だが釣り竿にリールを取り
付け組み立てる手つきは、完全に玄人のそれだ。そして
娘の目は、ここからでも分かるほどにギラギラと光って
いる。なんとたくましい闘志だろうか! 娘の後ろにい
る黒髪の青年など霞んで見える。
私は岩陰でじっとしていた。最初に投げ入れられたの
は、活きのいいミミズだ。丸々と太っていてかぶりつき
がいがありそうだが、今の気分はこれではなかった。ま
だ我慢が出来る。私の警戒心の方が勝っていた。
娘はミミズが駄目だと悟ると、次は練り団子を投げ入
れてきた。常連の男どもと比べてもなかなか思い切りが
良い。この旨そうな匂いといったら、ひげが団子へ伸び
たまま戻らない。だが、まだ耐えられる。まだ私の方が
一枚上手である。
そうしているうちに日が暮れ、水温も急激に下がって
きた。私はほんの少しの焦りを感じた。我々は水温が下
がると狩りを始める習性を持っているのだ。
そこへ投げ入れられたのが、カエルを模したルアーだ
った。所詮は偽物、先程のようなたまらない匂いはしな
いし、ただじっとしていればよいだけだ……そう思った
のも束の間だった。カエルは、私に気付いたかと思うと
急に飛び上がり、一目散に逃げ出す。食われたくない、
一刻も早く私から逃げたいという必死の泳ぎで、岸に向
かってスピードを上げる。
逃がすものか! 私は尾びれで水をかき岩陰から飛び
出すと、カエルにかぶりついた。
……ゴムの味がした。本当の意味でほくそえんだのは
ツインテールの娘だった。
「やったわ! ヨシュア、網ですくって!」
私の完敗だった。あのルアーの動き、私の心理・習性
を読みつくしたタイミング、どれを取っても娘の技量は
素晴らしかった。この娘ならば仕方ない……そう思い、
私は住み慣れた湖とこの世に別れの言葉を捧げた。
だが、娘は意外なことに私の腹をかっ捌くのではな
く、私を水槽に移してこんな言葉を口にした。
「あなたのデータがあれば、ここや他の湖を綺麗に出来
るんですって。窮屈でしょうけど我慢してね。一週間し
たらあたしが責任持ってまたここに帰してあげるから」
わが子も同然のこの湖のために出来ることがあるとい
うのなら、どんな窮屈だって苦にはなるまい。素晴らし
い好機だった。そしてその好機をもたらしてくれた素晴
らしい好敵手との出会いに、心から感謝した。


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