銀の公爵 Shotr Stories
 [ 第八回 ]

その日は朝から花火があがった。
都中、にぎやかな音楽が流れ、たくさんの屋台が通りに連なった。
辻では、道化師たちが鞠を首に見立てて、ギロチン刑の芝居をしている。
悪趣味な祭り。
公開処刑とは、つまりこういうことなのだ。
平和に飽いた大国の都は娯楽に飢えている。
民衆も宮廷人も刺激的な見せ物を楽しみにしていた。
あさましいが、そういう時代なのだ。

広場の中央にしつらえられた処刑台の周りには、すでに大勢の人々が集まっていた。
近衛隊長はマグナ・レックと共に、王座の側に待機している。
王の命を狙いながら、王を守る位置に陣取るという、図々しくも白々しい配置だ。
やがて、けたたましいファンファーレと共に王が現れる。
待ちかねた民衆が、熱狂的な叫びをあげた。
続いて、黒い覆面をつけた三人の死刑執行人が厳かに登場する。
死神の使者の姿を見て、人々は静まり返った。
最後に、この祭りの主役が、赤い制服の近衛兵に引き立てられてきた。
拷問の跡も生々しい傷だらけの顔を昂然とあげて、あたりをにらんでいる。
捕らえられた誇り高き猪。
潔白な伯爵の瞳は、死に臨んで尚、一点の曇りもない。
目の前にそびえる斬首台の輝きも、恐れてはいないようだ。
死刑執行人の一人が音もなく歩み出て、高らかに宣言した。
「罪状!
 国王の玉命を脅かしたる罪によりて……」
「その死刑、待った」

人々が固唾をのんで見守る中、気取った声が響いた。
その声は、いましもギロチンにかけられようとしている伯爵の頭上から。
東洋の美姫と共に、白い雲に乗って、銀の公爵が現れた。
「ハーッ!」
雲の上の美姫が気合いをかけると、どこからともなく群雲が集まってきた。
青白い稲妻が斬首台を撃つ。
まがまがしい刑具は、あっという間に砕け散った。
近くにいた死刑執行人や近衛兵が驚いて立ちつくす。
公爵は銀髪をきらめかせて、伯爵の前に降り立った。
友の到来に、猪伯爵の顔が輝く。
「公爵…!」
「遅くなってすまなかった。
 後はゆっくり休んでいてくれ」
公爵はサーベルで伯爵の戒めを解き、同行の美姫に託した。
「頼むぞ、ギュネ・フォス」
美姫はたっぷりとした衣の袖で猪伯爵を包み、空高く舞い上がった。
「おのれ、曲者!
 …捕らえよ!」
近衛隊長が真っ赤になって叫んだ。
兵たちが我に返って公爵を取り囲む。
「はっはっは!」
公爵は高らかに笑い声をあげた。
次の瞬間、長い髪の女戦士が現れる。
女戦士は重たい両手剣を軽々と片手で振り回し、近衛兵たちをなぎ倒した。
公爵は、役者のように死刑台の上から高らかに宣言した。
「近衛隊長殿。
 貴殿の奸計は、すっかりお見通しだ。
 国王暗殺計画を企てた重罪人とは、貴殿のこと。
 心正しき伯爵に罪を押しつけ、処刑しようなどと、銀の公爵が許さぬ!」
凜とした声が響く。
「これは、どういうことだ?」
王が近衛隊長をみやった。
近衛隊長はうろたえながらマグナ・レックを見る。
老魔術師は、穏やかに笑って国王に言った。
「あれは人心を惑わす妖術師にございます。
 私が成敗いたしましょう」
マグナ・レックは、衣をはためかせて立ち上がった。
散り散りになった兵士たちの間をかき分け、戦いの舞台へ歩み出る。
「…未熟者め。
 キュリア・ベルごときで何ができる」
片腕を高々とあげて、召喚に入る。
「出でよ、オーンヴィーヴル!」
叫びと共に、大鎌をたずさえた狂戦士が現れた。
全身に紅蓮の炎を燃え立たせ、けたたましい声で笑っている。
オーンヴィーヴルは文字通り炎のような勢いで、公爵のキュリア・ベルに襲いかかった。
女戦士は、灼熱の大鎌にばっさりと斬られ、あっという間に燃え尽きた。

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「あああ、だから、いわんこっちゃない!」
コウモリがメルレットの回りをぐるぐる飛び回った。
戦場を一望する教会の屋根の上。
メルレットとペットたちは、公爵の戦いを見守っていた。
「ふふふ、予定通りね」
メルレットは白い指先を唇に当てるいつものしぐさで、妖しく笑った。
帽子が心配そうに
「本当に大丈夫かえ?
 あの子に出せるのは、天のネイティアルばっかりなんだよ」
「でもマグナ・レックはそれを知らないわ」
メルレットは自信たっぷりに答えた。
そして遠くで戦う公爵に指示するようにつぶやく。
「さあ、公爵。後退しなさい。
 次はマームの大軍よ」

メルレットの言葉が聞こえてか、聞こえなくてか。
公爵は彼女のつぶやき通りに後退し、人魚たちを次々と呼び出した。
宝玉のついた棍を手にした艶やかな部隊が、すっかり舞台と化した死刑台の上にずらりと並んだ。
まるでハーレムのよう。
マームたちは炎の狂戦士を充分に引きつけてから、一斉に棍を繰り出した。
「そーれ」
ほとんど嬌声に近い掛け声が響き、オーンヴィーヴルは霧となって消えた。
「はっはっは。
 来い、マグナ・レック」
公爵は不敵に笑い、マグナ・レックを挑発した。
後退しながら、マーム軍団を増やす。

マグナ・レックは人魚のハーレムを眺めてつぶやいた。
「馬鹿のひとつ覚えめ」
老魔術師にとって銀の公爵の手の内は未知である。
彼の記憶の中に、公爵の実力を表す出来事は、ふたつしかなかった。
牢獄城で、パ・ランセルにあっけなく殴り倒されたこと。
独房の窓の鉄格子が焼き切られていたこと。
それに付け足して、今、目の前で増えていくマームの大軍。
「鉄格子などヘピタスでも熔かせる。
 …手駒はすでに尽きたのか?」
マグナ・レックは前進し、次の兵士を呼び出した。
土の体を鉄板で覆った巨大な力士が現れる。
「行けい、ダ・カーム!」
公爵のマーム軍団に対抗するように、次々と恐怖の兵士を送り出す。
ダ・カームの腕が繰り出す凄まじい突きに、か弱いマームたちは次々と消されていった。

「もういや!
 見ちゃいらんないわ」
メルレットの足元で猫が悲鳴をあげた。
メルレットは、さんざんに蹴散らされる公爵のネイティアルを眺めながら、ますます妖しい笑いを浮かべていた。
「ほほほほ…公爵、もっと逃げて。
 やられても、やられてもマームを出すのよ」
そのつぶやきが終わるか終わらないかという時、猪伯爵を連れたギュネ・フォスが教会の屋根に到着した。 「いったい…コレは…なんたる…?」
状況を理解しきれない猪伯爵が目を白黒させている。
メルレットやペットたちを見てまた驚き、困惑しながら尋ねる。
「あなたは誰だ?」
「私は銀の公爵のお友達。
 伯爵、近衛隊長がマグナ・レックにあてて書いた手紙の在り処を教えてくださらない?」

銀の公爵は、マームを出しながら後退を続けた。
マグナ・レックはダ・カーム部隊を増やし、破竹の勢いで進軍してくる。
…さて、これからが問題だ。
公爵はメルレットが授けてくれた作戦を思い出した。

「最初は、ひたすらマームを出して後退を続けるの。
 そうすれば、敵は必ず地のネイティアルを出してくる。
 多分、ダ・カームが来るでしょうね。
 ダ・カームは地のネイティアルでも最強クラスで、とてつもない破壊力を持っているわ。
 でも、威力のあるネイティアルは、それだけマスターの心の力を消耗させるの。
 マグナ・レックの心の力が尽きるまで、ダ・カームを出させなさい。
 そして、火のネイティアルが出せないくらいに追い込んだら、アモルタミスを放つのよ」

公爵はマグナ・レックの様子を伺った。
ダ・カームの数は増える一方だ。
近づいてくる老魔術師の表情は、心なしか疲れているように見える。
熟練のマスターとて、上級のネイティアルを連発するには、限界があるのだろう。
メルレットの言ったとおりだ。
頃はよし。いくぞ!
「アモルタミス!」
呼びかけに応じて、金の弓を携えた女神が現れる。
アモルタミスは弓を引き絞り、ダ・カーム部隊の真っ只中に矢を射込んだ。
数体のダ・カームがバタバタと倒れた。
「見たか、マグナ・レック。
 これが本当の、天の裁きだ」
調子に乗って軽口まで叩く。
「おのれ、手駒を隠しておったか。
 ダ・カーム共、散開せよ!」
マグナ・レックは叫んだ。
その声に応じて、ダ・カームたちは広場のあちこちに散らばった。
ダ・カームの巨体が、広場に集まった民衆をさんざんに追い立てる。
逃げ惑う人々の悲鳴。
「しまった!」
公爵は狼狽した。
これでは、うかつに矢を射ることはできない。
狙いが狂えば、民衆を傷つける…
公爵の戸惑いは、そのままアモルタミスにも伝わり、弓を構えた女神は所在なく空を漂った。
どうする?
それでも、矢を射込むか…?

「出でよ、オーンヴィーヴル!」
公爵が躊躇している間に、マグナ・レックはしわがれた叫びを上げた。
老練の魔術師は、少しの間に魔力を取り戻してしまったのだ。
炎の狂戦士が再び召喚される。
オーンヴィーヴルはアモルタミスに襲いかかった。
マームたちが援護に入ろうとするが、次々とダ・カームにつぶされてゆく。
幸い、民衆たちはなんとか広場から立ち去ったが、マグナ・レックに火のネイティアルを召喚させてしまったのは致命的だった。
マームたちを屠ったダ・カーム共が、再び密集隊形を組んで攻め寄せてくる。
アモルタミスはオーンヴィーヴルから逃げるのに精いっぱいで、公爵を守ることができない。
「行け、ダ・カーム!
 銀の公爵を踏みつぶしてしまえ!」
マグナ・レックは狂ったように笑った。
もはや公爵に逃げ場はない。
…アモルタミスか、キュリア・ベルか…?
次のネイティアルを呼び出そうとしたが、弓や剣を武器にする者たちでは間に合いそうにない。
万事休すか…!
公爵は、高鳴る心臓を抑えるように胸に手を当てる。
と、左手に硬いものが触った。
「そうだ、メルレットが…」
公爵は戦いの前に女師匠が言ったことを思い出した。
記憶の中で、メルレットの唇がゆっくりと動く。

「もしも、作戦に失敗したら。
 一か八か掛けてみるのよ。
 この終焉の魔書を掲げて…」

公爵は上着の胸元から、人骨を留め具にした羊皮紙を取り出した。
ダ・カーム共の手が一斉に伸びてくる直前。
公爵の体が光った。

「あ、あれは…!」
マグナ・レックは目をむいた。
公爵が掲げている羊皮紙、あれこそ、この老魔術師が欲してやまないネイティアルの召喚具。
最強の天のネイティアル、恐怖の女神…
「レグナ・クロックス!」
マグナ・レックがそれを認識した瞬間、広場に閃光が走った。

……ドン。

広場中の大気をかき乱して、すさまじい振動が全ての元素を震わせた。
真っ白だ。
色もない、音もない。
無の中に投げ込まれたような、時間さえも溶けてしまったような衝撃が走った。
土くれの力士たちが影も残さず吹き飛んだ。
沈黙。静寂。
国王が玉座に座ったまま、呆然としている。
その隣には、腰を抜かした近衛隊長。
おびえた民衆が建物の陰から様子を伺っている。
やがて閃光が消え、巨大な女神が姿を表した。
夜空の闇を集めたような漆黒の鎧に身を包み、肩から巨大な鉄の翼をはやした女神。
恐ろしい姿でありながら、全身に妖しいまでの艶やかさを漂わせている。
ダ・カームを屠って満足なのか、竪琴の弦をつま弾くような声で笑っている。
その足元には、女神を呼び出した銀の公爵が飄々と立っていた。


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「おのれ!」
マグナ・レックは悪あがきするように、両手を振り回した。
炎の狂戦士、オーンヴィーヴルが公爵に襲いかかる。
その時。
「コンジュレート!」
鈴を振るような女の声が上空から響いた。
オーンヴィーヴルが鎌をかまえたまま、停止する。
炎の狂戦士は、一瞬にして黄金の像に変わった。
「メルレット!」
公爵が見上げると、コウモリに乗った女師匠が艶やかにほほえんでいた。
右手の指が、魔法をかけた名残をとどめたまま、オーンヴィーヴルに向けられている。
「証拠の手紙を持ってきたわ」
メルレットは公爵の手に、近衛隊長の手紙を投げ落とした。
公爵は、レグナ・クロックスの肩に飛び乗る。
最強の女神はゆっくりと空を移動し、玉座の前で停止した。
公爵は手紙を掲げ、王に宣言した。
「陛下!
 これが伯爵の無実を証明するものです!」

この言葉を聞いて、近衛隊長は我に返った。
そして、すぐに乱心した。
「もはやこれまで」
と叫び、サーベルを抜き払って王に襲いかかる。
王は玉座を蹴って、脇へ退いた。
「往生際が悪いぞ!」
公爵はレグナ・クロックスから飛び降りて、近衛隊長の前に立ちはだかる。
ユニコーンの紋章を刻んだサーベルを抜き払い、蜂のように鋭いひと突きを繰り出した。
「…!」
近衛隊長は、玉座の上にくずおれる。
クッションがみるみるうちに赤く染まっていった。


そして


近衛隊長とネイティアル・マスター、マグナ・レックによる国王暗殺計画は、銀の公爵によって未然に防がれた。
近衛隊長は公爵のサーベルによって裁かれ、マグナ・レックは捕らえられて牢獄城につながれた。
すべてはめでたく解決したのだった。
国王は公爵と伯爵の功労を讃え、報償と役職を与えるための式を開くことにした。
この式で、銀の公爵は新しい近衛隊長に、猪伯爵は副隊長に任ぜられることが決まった。

その晴れの日。
きらびやかな宮廷人たちが並ぶ広間で、猪伯爵と妹の姫君、公爵のオヤジ殿はひときわ晴れやかな気持ちでいた。
猪伯爵にとっては、友と並んで王から報償を受ける喜び。
姫君にとっては、愛する人と兄が名誉を受ける喜び。
オヤジ殿にとっては、父祖からの誉れを息子がよりいっそう輝かせた喜び。
それぞれがこの上ない喜びに満たされていた。
「姫、今日は一段とお美しいですぞ」
オヤジ殿がいつもの調子で姫君を褒める。
「今日は、大切な方のうれしい日ですから…」
姫君は頬を染めて答えた。
「それは、この兄のことかな?
 それとも公爵殿のことかな?」
堅物の猪伯爵までもが妹をからかう。
姫君はうれしいやら恥ずかしいやらで、顔を手で隠し、
「…知らない」
と子供のようにつぶやいた。
「それにしても、公爵はどうしたのだろう」
猪伯爵が広間を見回した。
やがて、王がお出ましになる時間である。
今日の主役である銀の公爵がこの場にいないのはおかしい。
「あの馬鹿者め。
 着飾るのに忙しいのではなかろうな」
オヤジ殿は、じりじりして口ひげをしごいた。
そうこうするうちに、王の出座を告げるファンファーレが鳴り響く。
報償の品を掲げた小姓に続いて、王が広間に現れた。
「…まずい」
猪伯爵とオヤジ殿は、思わず顔を見合わせた。
その時、ひとりの兵士が広間の中に駆け込んできた。
王の前にまろび出て、一通の手紙を差し出す。
「大変です、陛下。
 銀の公爵様が、こんなものを残して…」



「あーあ、困ったヤツだぜ」
コウモリがあきれてため息をついた。
王宮は、銀の公爵の突然の失踪で大騒動になった。
人々が上を下への大騒ぎをしているところを、メルレットと猫とコウモリと帽子は、屋根の上から眺めていた。
「困ったヤツで悪かったな」
背後から、とぼけた声が響いた。
「ああっ、銀の公爵!
 なにしてんのよ、こんなところで…」
猫がすっとんきょうな声をあげた。
公爵はメルレットの横に並んで、瓦の上に腰を下ろした。
「近衛隊長になるんじゃないの?」
メルレットは、公爵の方を見ないまま静かに尋ねた。
「ああ…あれは、猪伯爵に任せた」
こだわりのかけらもなく、さらりと言い放つ公爵。
「お姫様がかわいそうじゃない」
「あなたの方が、ずっと興味がある」
口説くような物言い。
メルレットはゆっくりと公爵の顔を見た。
エメラルドグリーンの瞳で、心の中をのぞき込むように見つめる。
銀髪の青年は視線を外さずにその瞳を見つめ返す。
「あなたは、私を探しに来たと言った。
 それは、なんのために?」
ふたりは無言のまま、しばらく互いの瞳を探り合った。
やがて、メルレットが艶やかなほほえみを浮かべた。
「…私の修行は厳しくってよ」
白い指先を公爵に向ける。
「望むところだ。
 …困難が大きい程に、心は燃える」
銀の公爵はメルレットの手を取り、再び師匠への礼を示した。
そして、王宮の屋根の上には、誰もいなくなった。


終わり




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