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「運命」という言葉。 それはロマンチックなものだと言われているけれど、 私はこの言葉が好きではない。 なぜなら、この言葉は、 人の過去を一言で言い表せてしまう。 その上、時には努力などといった、 人が持つ力を蔑ろにするからだ。
紅のクオーツによって火の動力魔法が組めるように、 七耀石の色にはそれぞれの意味がある。 「意味」は過去の積み重ねによって生じるものである。 そのため「意味」はその本質を表している。 同様に、人にもそれぞれの過去があり、 「意味」があると私は思う。 「軌跡」とも呼べるだろうか。
しかし、たとえば、 百日戦役で亡くなった方々に対して、 「運命だった」と言えば、 それで片づけることができてしまう。 「理由」を奪うといってもいい。
時代の「運命」によって動力革命が起き、 百日戦役があり、不戦条約が作られたのか。 ならばこれから起こることもまた「運命」であるのか。 すべての「理由」は「運命」によるものなのか。 少なくとも、自分自身に関して言えばそうではない。 はじめは「運命」を女神が決めていたとしても、 人にはそれを変えられる力がある。
リベールの異変での遊撃士たちの活躍は耳に新しい。 このことは人が「運命」などに縛られるような 存在でないということを示してくれたと私は考える。
私たちは「運命」によって生かされているのではない。 必死になって生きてきた結果が「軌跡」なのである。 女神と時の運によって命を与えられたとしても、 自らの未来は、すべて女神が決めるのではなく、 自分次第なのである。
結果全てを「運命」という者も当然いるだろう。 「運命」とはそう言えてしまう言葉なのだ。 答えは女神のみぞ知る、といったところだが、 もし、自分の「運命」を変えたいと願うなら、 自分ができることから始めることだ。
自分の運命をより良くしてもらうために女神に祈る。 これはいたって普通の事だろう。 ただ、自分が何も行動しないのでは、 女神も耳を傾けてくれることはないのではないか。 行動こそが「意志」を表す最たるものなのだから。 |