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■ナナギ

【タイトル】 ハースの風船
【作者】 ナナギ

 丸くてつるんとしていて、ふわふわと能天気に
宙に浮かんでいる風船が俺は好きだった。
風船を愛し、風船配りを仕事としている俺は、
この仕事は市の観光政策にも一役買っているに
違いないと信じていた。
だが、そんな俺の前を今日もまた観光客たちは
素通りしていく。
どこかに風船を愛する人はいないだろうか。
商工会の会長が、商品は必要だと思う人に
届けてこそ喜ばれるものだ、と言っていた。
考えたあげく、俺はウルスラ医科大学病院で
風船を配ることに決めた。
風船は、入院暮らしを余儀なくされる患者たち
の心の慰めになってくれるだろう。
だが、その目論見は病院の受付で脆くも崩れた。
受付の女性の弁を要約すれば、風船は、「迷惑」
の一言に集約された。
意気消沈した俺は、病院の前で風船を空へと
放った。
色とりどりの風船たちはぐんぐんと空へと
吸い込まれていく。
背後で歓声が上がり、振り返ると若い娘さんが
目で風船を追っていた。
きらきらとした瞳の美しいお嬢さんだった。

 彼女はボスニア帝国の出身だった。
ウルスラ病院に入院中の彼女は心臓があまり
良くないらしく、
今度手術を受けるのだと言っていた。
「新しい治療法があるそうで、そう難しい手術では
ないんです」
彼女は笑顔で、手術に対する不安は感じられな
かった。
だが、どことなく表情に影があるのが気になった。

 俺は毎日、彼女と会った。
毎日風船を空へと放ち、彼女はそれを見て喜ぶ。
たったそれだけだったが、俺はとても幸せな
気分になれた。
彼女も同様だろうと俺は信じた。

 何度も会ううち、彼女は身の上話を始めた。

 彼女には婚約者がいた。
帝国貴族の彼は彼女をとても愛していたが、
彼女の家が没落すると、彼の親戚が結婚に反対
し始めた。
手切れ金代わりに彼女の心臓病の手術費を彼の
家が出すことになった。
彼女が病院にいるわけは、つまりはそういうこと
だった。

 手術の前日は彼女に会えなかった。
彼女の病室は知っていたので、外から病室の
窓を眺め、成功を祈った。
突然、きれいな身なりの青年が慌てた様子で
現われ、受付へと走って行った。
受付の女性は面会できない旨を青年に伝えていた。
俺はうなだれて帰ろうとする彼に声をかけた。
彼は彼女の婚約者だった。
家を捨て、彼女と結婚してクロスベルで独立する
のだ、と勢い良く彼は言った。

 俺は迷った挙句、青年にその想いを風船に
ペンで書くように伝えた。
彼女の病室を見上げ、彼の風船を空へと放った。

 病室のカーテンが揺らめいた。
彼女が顔を出していた。
彼女はメッセージ入りの風船を見つめ、
やがて口元を押さえて地上へと目をやった。
その瞳は綺麗に潤んでいた。
見つめる先に青年の姿があった。

 俺は病院を去った。
バスの中から月が見えた。
なぜだかのどの奥がしょっぱかった。
車窓からついてくる月は、風船のように
まあるい月だった。

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