■天里
耳慣れた扉の開閉音に、ルグランは読んでいた書物か
ら視線を持ち上げると、目元に刻まれた皺をより深くし
て笑う。
「おぉ、シーグにラフィカか。おかえり」
入ってきたのは、大型の犬を連れた青年だ。年齢は二
〇歳程度だろうか。薄い金の髪に白磁の肌。無駄なく引
き締まった身体は、ともすれば華奢にも見えるが、歩く
姿にはおよそ隙というものがない。
「……いま、戻った。早速だが、状況が知りたい」
淡々とした、感情の窺えぬ声音とともに、伏し目がち
だった瞳が初めて老人に向けられる。
————紅と蒼。
やはり感情を欠いた、左右で色の異なる双眸。それは
鼻筋の通った繊細な容貌も相まって、見る者の心にある
種の畏怖を呼び起こす。が、ルグランは動じない。それ
どころか、分厚いファイルを渡し、いささかお説教じみ
た口調で言う。
「忙しない奴め、帰ったばかりだというのに、もう次の
仕事にかかる気か?」
「性分だ」
短い台詞とともに、シーグはカウンターの隅でファイ
ルをひろげた。
と、相棒の方は眠気を催したのか、陽光の射し込む窓
辺へと歩み寄り、巨体を寝そべらせた。牙を剥き出しに
して、大きく欠伸までしてみせる。
「とはいえ、いま依頼はほとんどないぞ。カシウスの子
供たちが、頑張ってくれたからのぅ」
「……カシウスさんの?」
「そうじゃ、つい先日までここに所属しておった。いま
頃はルーアン支部におるじゃろ。言っておくが、お前さ
んと違って、真面目で素直ないい子たちじゃったぞ」
しかつめらしく告げられ、シーグはその若々しい顔に
初めて感情の欠片を浮かばせた。口元を薄い笑みが
彩る。
「子供の頃の俺は、そんなに不真面目で捻くれていた
か?」
「というよりも、予測がつかん奴だったわい。何しろ
『カシウス・ブライトに一騎打ちを申し込む!』などと
いう、破天荒な依頼を持ち込んだお子様じゃったから
の。あんな依頼は、わしの受付人生でも初めてじゃ」
当時どう処理すべきかと頭を抱えたものだが、一騎打
ちを申し込まれた本人は、というと、こちらは悩むどこ
ろか、むしろおもしろがって了承したことは、また別の
話だ。
「何事にも、最初はあるものだ」
「最後もな。一騎打ちの依頼なんぞ、二度とこんわ」
「なら、せいぜい長生きをして、二度目を経験して
くれ」
用は済んだ、とばかりにファイルを閉じ、青年は床に
置いていた荷物を手にとる。と、出立の気配を感じとっ
たのか、短い休憩を終えたラフィカが、音もなく立ち上
がった。
「何じゃ、シーグ、もうゆくのか?」
「……ああ。今度の新人たちは、優秀だ。ならば俺は、
次の場所へ——帝国へゆく。あちらへの連絡を頼む」
「やれやれ、今度は国外か。本当に予測がつかんの、お
前さんは。だが、伝えておこう。——《双色の神鳥
(シームルグ)》が天来する、とな」
背中越しの台詞を受け、シーグ——シームルグは、軽
く片手をあげて応えると、相棒とともに晴れわたった空
の下へと足を踏み出した……。
——Fin—— |