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■初羅

【タイトル】 Cross・1
【作者】 初羅

 朝からガタガタと、大きな家具類を動かす音と、ドタ
バタと走り回る音は絶えず。
そろそろ昼になろうかという時間になってやっとエステ
ルが、廊下に顔を覗かせた。
「ねえ、ヨシュア、ちょっとベッドを動かすのを手伝っ
てよ」
「はいはい…」
 乙女には、いろいろと見せられない秘密があるのよ!
と言って、家具を動かす間、まったく中に入れてくれな
かった彼女だったが、漸くその見せられない秘密の辺り
が終わったらしい。
ヨシュアが中に入ると、だいぶ物の位置が、以前入った
時に比べて変わっていた。
部屋の中には、一人分の荷物が増えていた。
元々、エステルはそれほど、あれこれと物を買って置い
ておく方では無いので、部屋は割りと整っていた方だっ
たが、矢張り一人分の荷物が増えるのでは、話が違う。
ヨシュアは、部屋の隅で要らないものを一纏めにしてい
る少女の背に声をかけた。
「やぁ、だいぶ進んだ見たいだね」
「そうね………今日中には、なんとか片付きそう」
 声をかけられて、レンはヨシュアを振り返り、微笑ん
だ。
数週間かけて選んだ、レンの為の家具や服飾品が、エス
テルの部屋に運び込まれており、今はその位置を整えて
いる最中だった。
「あ、ねえ、レン!じゃーん!」
 ふいに、自分のタンスの中を掻き回していたエステル
が、満面の笑みを浮かべ、両腕に布地を抱き締めながら
二人の前にたった。
声と共に見せられたそれは、普段レンが着ているような、
フリルたっぷりの可愛らしいワンピースだった。
今のエステルよりも小さなサイズからして、昔の物なの
だろうが、少年と見まごうばかりだった幼い頃のエステ
ルを知るヨシュアからすると、そんな可愛らしい服を持
っていたのかと、少しだけ意外に感じられた。
「えへへ、貰ったはいいけど…全然着なかったのよね。
良ければレンにあげるから、着て見てよ」
「ふふ、…ありがとう、エステル…」
笑いながら、レンはワンピースを受け取り、自分の胸へ
と宛がって見る。だが、ほんの少しだけ、その表情は苦
笑になった。
その苦笑の意味に、ヨシュアはすぐに思い至り、そして
遅れてエステルも気付いたようだった。
「あ、……いくらなんでも、お古なんか嫌よね!」
既に、エステルも知っている。風呂の中でや、日常の生
活の中で、気付き、言葉にはせずとも、その意味を理解
していた。
 レンの両の足には、彼女が刻み込んだ、救済と懺悔の
痛みが存在している。
本人はまるで気にしていないような素振りをしていても、
彼女が好んで選ぶ長いスカートと、ソックスが、未だ癒
え切らない痛みから目を背けようとしているのだとわか
る。
だが、レンはさっぱりとした笑みを浮かべた。

■初羅

【タイトル】 Cross・2
【作者】 初羅

「着替えるから、手伝ってくれるかしら、エステル」
「え?で、でも…」
エステルは戸惑ったが、レンはワンピースを抱いたまま、
鏡の前へと立ち、早く、とエステルを急かす。
「ヨシュア、レディの着替えを覗く気なの?」
面食らったようにレンの挙動を見ていたヨシュアは、悪
戯っぽくレンに笑われてはっとした顔をした。
そうと言われれば、男子は、廊下へと出て行くしかある
まい。
それをしっかりと見送ってから、レンは自らワンピース
を脱ぎはじめた。
両の足には、いまでも、十字が刻まれ続けている。
一生消える事の無い、真実。
それは、確かに『クロス』を始めとした子供たちが居た
事実。
どうしようもなく、自身が汚れてしまった事実。
 レンは、鏡の前で、静かに足の一番大きなクロスに手
を触れた。
「レン、…無理しないで、いいんだよ?」
「………そうね」
 《結社》での日々を思い返す。
人々の痛みを訴える声と、悲しむ声を一身に受けて漸く
得ていた安息の眠り。
パテル=マテルと出会い、本当のパパとママを手に入れ
たと、そう思っていたのに、それでも尚、心のどこかが
ぐずぐずと傷んでいたような日々。
けれど、エステルと出会い、その傷み続ける場所に触れ
られた時から、何かが変わった。
そして、真実を、知ったから。
残酷な現実しかないと知り、差し伸べられる手を信じら
れず、賭けをした。
けれど、賭けの結果を得る前に、レンは、真実を得た。
それは、残酷でもなく、悲劇でもなかった。
ただ、ただ、それだけが、真実だった。
「エステルも、もっとかわいい格好をして、ヨシュアと
デートをするべきだわ」
 はいていたソックスも脱いで、レンはワンピースに袖
を通した。
横で顔を赤くさせたり、青くさせたりするエステルに、
くすりと笑みを漏らして、鏡の中の自分を覗き込む。
それから、エステルを振り返って、もう一度レンは微笑
んだ。
「エステル、胸きつくて、ウェストが緩いわ」
「……って、どういう意味よ!レン!」
顔を真赤にさせて握り拳を振り上げるエステルから、レ
ンは軽やかに身を翻して逃げ出す。
そのスカートから覗く足に、クロスがちらついた。
「もう逃げないから、大丈夫よ、エステル。鬼ごっこは
エステルとヨシュアの勝ちだもの」
 逃げる必要はもうないのだ。
これからは、向き合わねばならない。
己の過去と、己の罪と、そして、これからの己の未来と。

 消えて行った子たちの事を思う。
そう、消えて行ったクロスたちの分まで、生きよう。
両の足に無数に残った、彼等の痕跡と共に。


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